種山ヶ原は今㊷

「大森山」は種山ヶ原のとなりにあり、800年頃 人首丸と坂上田村麻呂との最後の決戦の場所。この頃朝廷は蝦夷討伐に幾度となく兵を送っている。胆沢平野ではアテルイとモレは民のことを考え、降伏し京都に連れて行かれるが、惨殺された。人首丸は最後まで朝廷と戦うことを決意し、北上山地の大森山を決戦の場とした。この時の大将は娘婿田村兼光。人首丸は戦いに負けたが、若き武将「人首丸」の名は地名として残っている。<人首町、人首川、人首小学校etc>
明治22年までは人首村だったが、米里村に村名をかえた。

続きを見る>>種山ヶ原は今㊷

種山ヶ原は今㊴

3月4日種山ヶ原に春が来た!及常建設の除雪隊の活動が始まり、いよいよ種山ヶ原が動き出します。でも、冬の間も物見山に登る人達が多くいます。通称堀切の所は雪の壁になり、八幡平に行かなくても雪壁を経験できます。
星座の森のスタッフも10日から活動開始。管理棟の裏口にも雪がいっぱいでスタッフも汗だくで頑張っていました。頑張れ、星座の森!

続きを見る>>種山ヶ原は今㊴